バカゲー界の鬼才、復活… オンライン ACT ゲーム「プロフェッショナル警察」レビュー
あなたはピクニックマンを知っているか
「いちごマン」「車マン」「980マン」など数々のフリーゲーム製作で人気を博し、その唯一無二の作風からフリーバカゲー界では「鬼才」の名をほしいままにしていた鬼才である。インターネットに触れたばかりの中学生であった筆者が氏のゲームをプレイし、「これがフリーゲーム、即ち自由なゲームか…」と衝撃を受けたのはもう十数年前。若い人は知らないかもしれない。
今でもそうかもしれないが、かつてバカゲーといえばRPGツクールなど手軽にゲームをつくるための制作支援ソフトの力を借りた作品が多かった。が、氏はそんなもの邪道だと言わんばかりに出来合いのツールには一切頼らず、発想が謎のバカゲーを毎回ゼロから作り上げた。その男らしい作風には筆者も感銘を受け、腹を抱えて笑いながらプレイした。
自分もこんなゲームを作ってみたい、とはまったく思わなかったが、ゲームってこんな自由でいいんだと開眼、その後は市販のゲームより同人フリーゲームの発掘にハマっていったのは間違いなく氏の影響である。
さてそのピクニックマン氏、数年前に突如HPを消し、「引退しました さよなランボー」という謎のメッセージとともに全作品のダウンロードが不可能になった。インターネットに衝撃が走った。
――引退。
そう、氏のバカゲーは決して生半可な気持ちで作られたものではなかったのだ。引退を表明し、姿を消さねばならぬほど、氏はバカゲーにガチで取り組んでいたのである。
氏の引退に一抹の寂しさを覚えながらも、大人になり、大学を卒業し、入社して日々の仕事に追われ、ほとんど忘れかけていた今日この頃、何の気なしに氏の名前で検索をかけてみたところ、なんといつのまにか復活しているではないか!
およそ10年ぶりとなる新作の名は「プロフェッショナル警察」。これまでの「○○マン」シリーズとは一線を画すそのタイトルが示すとおり、驚くべき進化を遂げていた。め、めちゃくちゃポップになってる…
・このゲームは、バカゲーじゃない。マジなんだ!(作者HP抜粋)
これほどまで完璧なタイトル画面があっただろうか
…このタイトル画面を見て胸がときめいた皆様はこんな記事読まなくていいから今すぐプレイしていただきたい。
ここから下はあまり胸がときめかなかった、これが何なの、と思ってしまった少数派のために「プロフェッショナル警察」はなぜ万人がプレイすべきゲームなのか、いったいどこが優れているのか、他のバカゲーと一線を画しているのか、野暮を承知のうえで解説を付す。読み終えたらぜひプレイしてほしい。バカゲーは自分でプレイするからこそ意味があるのだからね。
1、バカゲーなのに快適な操作性
「バカゲー」といえばどんなものを思い浮かべるだろうか。製作者のアイデアがこれでもかと詰め込まれた、ネタとしては面白いがゲームとしてはバランスを欠いた、そういうきわどい作品を思い浮かべるかもしれない。まして同人ゲームともなれば、バランスの悪さや作り込みの浅さはただでさえつきものである。
それこそかつて大流行した不謹慎ゲームに代表されるように、個人製作のバカゲーといえばアイデア一発勝負、ゲーム性はあくまでおまけ、という印象を持っている方も多いだろう。
ところが「プロフェッショナル警察」はそうではない。シンプルながらしっかり作りこまれており、まったくストレスを感じさせないのだ。
事件とは無関係に発生するスライムたちを蹴散らしていく
操作はキーボードで移動、マウスクリックで弾発射のシンプルなもの。左クリックで通常弾、右クリックでスペシャル技の特大弾を出せるが、特大弾の威力は通常弾とあまり変わらないうえに、撃つと反動で動けなくなり敵から一方的にダメージを食らうので実質左クリックだけでよい。じゃあ右クリックは何に使うのよ? という点は後述しよう。とにかく、動きがなめらかでファミコンの名作ゲームを思い起こさせる丁寧な仕事である。
ファミコン感といえば、作中の音楽もいい。BGMは8bitサウンドのかわいらしいピコピコ音で、耳に心地よいのも本作の特徴だ。うっかり童心に帰ってしまうようなBGM。自分が何ゲーをプレイしているのかつい忘れてしまう。
テクニックや戦略性が必要とされる場面は特にないが、にもかかわらずつい起動してゲームの世界に浸ってみたくなる。なんというか、バカゲーのくせに本当にかつてのファミコン名作ゲームのような正統派の魅力もある。だからこそ作者の独特としか言えないボイスが際立つのだけど…
2、特に意味のないオンライン仕様
本作、まさかのオンライン対応である。
他のプレイヤーと同時にステージを進めることもできるし、チャットで交流もできる。が、協力が必須になるようなステージってあるのか…?
疑問に思い、試みに友人とオンラインでプレイしてみたところ、度胆を抜かれた。本作、思ってた以上にオンラインの意味がない。
首のとれた相方を横目にドラマは進行する
プレイヤーと同一マップに表示されるものの、敵の体力ゲージは各人で別々。他プレイヤーの存在はいわばゴーストである。見えてはいるけど、互いの世界に干渉はできない。オンラインプレイの意味がまったくないのだ。
しかし「ただ単にダメな仕様じゃないか」とツッコミを入れるのはおそらく間違っている。これは間違いなく作者の意図どおりである、と筆者は解釈してみたい。
実際、オンラインプレイは楽しかったのだ。
何にもすることがなく、自分たちを置いて延々と展開される茶番劇を無視して、プレイヤーどうしで無意味な弾を打ち合って時間を潰す。これはマジでアホらしいけど楽しい。こんな茶番に付き合わされて、俺達は何やってんだろう…というバカゲーならではのトホホ感をシェアーできる。そう、これこそ「バカゲーをわざわざオンラインゲームでやる意味」そのものであり、私は作者がそこまで深く考えぬいて、この(一見)無意味な仕様にしたとしか思えないのだ。
ところで特に使いどころがないと貶したスペシャル技の特大弾だが、オンラインで味方に向けて撃つとウケるのでコミュニケーションツールとしては使えると思う。LINEのスタンプみたいなものだと思っていただきたい。
さらにプレイ人数が増え、幾人ものプレイヤーが同一平面上にうじゃうじゃ集まり、かつ各々が関係ない行動を取っていたらニヤニヤできることうけあいである。筆者は個人的にその光景を見たいので、各位にはぜひプレイ人口の増加に協力していただきたい。
3、フルボイスのこだわり
延々と書いてきたが、最大の魅力はここに尽きる。
本作、随所でキャラクターたちがドラマを繰り広げるが、なんと一部効果音を含む、すべての声が作者自身により演じられる。この声が本当にずるい。わかってても笑ってしまう。
ピクニックマン氏は処女作から一貫して作者によるフルボイスの謎ゲーを製作しているのだけど、本作では演技力も向上し、といって面白さは減じるどころかますますパワーアップ、ポップとコアを音声の面からも両立させている。
またセリフ回しもテンポが良く、またわざと音質を落としているとしか思えない雑な録音も…とまじめに解説するのも野暮ですね。いやとにかく楽しい。作者自身が楽しんで作っているから、こっちも楽しくなってくるのだ。
この独特の世界観を快適な操作性がしっかりと支え、バカゲーの理不尽感をオンラインで人と共有できる、まさに今までにまったくなかった、奇跡的なバランスを誇っているゲームである。
バカゲーとはプロレスである
「でもただのバカゲーなんでしょ」と侮る輩に言っておきたい。確かにそうかもしれない。だが日本のゲームの歴史上、もっとも有名なバカゲーはこんな言葉を残しているではないか。
蓋し名言である。そしてこの言葉は、バカゲーにのみ当てはまるものではない。この命題はすべてのゲームが引き受けるべきものである。「ゲームごときにマジになってどうするのか」と。どれほど名作でも所詮は「ゲーム」なのだ。
そう、バカゲーの真面目さはこの地平に存在する。こんなものにマジになってどうするの、と他ならぬ作者自身がもっとも深く自覚している。ゲームなんかにマジになっても仕方ないし、そんな仕方ないゲームをマジで作るなんてマジでバカかもしれない。しかしそれでも、作者はゲームをつくる。
ゲームなんて茶番だ、と了解していながら、いやむしろ了解しているからこそ、ガチで取り組むのである。そう、バカゲーの作者とは究極のエンタテイナー、ゲームにおけるプロレスラーそのものではないか。
バカバカしさの向こう側へ…
言い換えればバカゲーとは「おもしろいゲームとは何か?」という問いよりさらに前の問い、「たとえゲームがおもしろかったとしても、それはバカバカしいことではないか?」という根源の問題に立ち返ってしまった、もっともラジカルなゲームなのである。あらゆるエンターテイメントが根源的に抱えるバカバカしさ、それを乗り越えるにはどうすればよいのか? いかにして自らの存在を肯定すべきなのか? バカゲーとはもはや一つの哲学である。
無論、これはゲームだけではない。どんなに優れた漫画だって「ただの絵」なのだし、極言すれば人間だって「たんぱく質のかたまり」である。そう、この世界のあらゆるものは、真剣になるにはバカバカしすぎるかもしれない。そんなものにマジになる必要があるのか。いや、その必要はない。マジになるのは格好悪い。へらへら笑って生きていればいいじゃないか。
世の中に蔓延するそんなニヒリズムを嫌悪したのは20世紀後半をドイツに生きた哲学者、ニーチェである。
「永劫回帰」という世界のモデルを提唱した彼はこう述べる。曰く、まったく同一の経験を永遠に繰り返しプレイさせられる理不尽な世界、自由度もクソもないクソゲーのごとき世界をお前は肯定できるのか。コントローラーを放り出さず、自らの意志でプレイし、楽しみ続けることができるかと。
ニーチェ以前、ヨーロッパの哲学者たちにとって人生とは、世界中に遍く存在する神の恩寵のうえに成り立つもの、つまり「神ゲー」であった。「世界=神ゲー」を前提としているからこそ、安心してゲームの攻略本をシコシコ書いていたのである。
しかしニーチェは「そもそもこんなのクソゲーじゃねえか!」と悪態をついた。神が死んでるのに神ゲーなわけあるか、こんなのはクソゲーだと。「永劫回帰」は直観的に語られ、その解釈には諸説あると言われるが、要するにニーチェがアイデア一発勝負で考えたクソゲーのことである。
永劫回帰の世界を生きるもっとも強い存在とはなにか。ニーチェはそれを「無邪気に遊ぶ子ども」のたとえで表現している。つまりは永劫回帰の世界、クソゲーのごとき世界を肯定して、楽しむ存在になること。つまり「バカゲーの作者こそ最強」とニーチェは考えていたのだ。
しかし人の何倍も真面目だった彼は、ついに遊ぶ子どもはなれず発狂してしまった。悲しいことである。もし彼が生前「プロフェッショナル警察」をプレイしていたらと思うと残念でならない。
繰り返すが、バカゲーとはバカバカしいこの世界の肯定である。クソみたいな世界をクソだと自覚しながら、それでもプレイする主体を引き受けること。
かの高杉晋作が死の間際に歌ったごとく「おもしろきこともなき世をおもしろく」というニヒリズムからの大脱出。面白くないからこそ、面白くするのだという覚悟。これこそバカゲーの、いや、人類のもつ素晴らしさではないだろうか。
バカゲーの魅力とは、あえてバカバカしさを引き受ける意志の強靭さにある。バカになれるって最高じゃないか?
というわけで…
「プロフェッショナル警察」は人生である。
今後も追加シナリオが実装されるようなので、期待して待っている筆者のためにもぜひ遊んでみてほしい。ゲームの、いや、人生のエッセンスはここに詰まっているのだからね(本当に)
[タイトル]
プロフェッショナル警察
[ソフトウェアタイプ]
フリーウェア
[対応OS]
Windows7 / 8 / Vista / XP
[ダウンロード]
ピクニックコア(作者HP)
[制作者]
ピクニックマン 氏、Y氏、穴マン氏、きいちごまん氏
[プレイ時間]
1話10~15分