毎年1本は個人でゲームを作り続ける―「カラフルマイン」制作者Maruchu氏インタビュー
「毎年一つゲームを作っているんですよ」
帽子と口ひげがトレードマークのMaruchu氏(@Maruchu)はサラリと言ってのけた。
今年3月7~9日に京都で開催されたBitSummitでのことだった。
Playismでも配信中の「カラフルマイン」、世界中でDLされた「Colorful Notes」など自身が作成した全てのゲームを遊べるように展示していた。
個人でゲームを作ることは大変だと思う。
音楽をつけようにもグラフィックを工夫しようにも自分しかいない。
宣伝費もない。
そんな中、ゲームの開発会社に勤めながら、個人でも毎年ゲームを作り続けているというMaruchu氏。
どんな人物なのか、今回ついに話を聴くことができた。
永遠の二番手に憧れて
- すんくぼ
- Maruchuさんは毎年ゲームを作るほどゲーム作りが大好きなんだと思いますが、いつ頃から作ろうと思ってたんですか?
- Maruchu
- ゲームとの接点で言うと、実は1,2歳の頃にさかのぼります。
- すんくぼ
- それはまたかなり前ですね。
- Maruchu
- そうなんですよ。おじさんの家にいったらファミコンがあったんです。それもディスクシステムというマニアックなものが。私の両親は2人とも教師でゲームも無ければ、テレビを1日に1時間しか見れないっていう、なかなか抑圧された状態でした。
- Maruchu
- そのディスクシステムで「ゴルフ」や「バレーボール」を遊んでいました。 他に「アイアムアティーチャー」という手芸屋さんでしか手に入らない謎の教育ソフトとかを触ったり。任天堂ってあの頃から色々な物に挑戦しては失敗を繰り返してますよね。ファミコンで3Dメガネをかけてやるマニアックなゲームもあったし…。
- すんくぼ
- バーチャルボーイとか。任天堂は画期的なことをしてますね。通信機能乗っけちゃって株のトレードができるっていうとんでもない物もありましたよね。
- Maruchu
- そうそう。挑戦し続けるという意味で、任天堂はインディなんですよね。そしてそのファミコンで、マリオ2(スーパーマリオブラザーズ2)を遊べたんですよ。ルイージがすごいかっこよかった。こういうものを作りたいと思うようになったんですよ。そこからですね。20年後に社会人になるときにはゲーム会社に就職して、今もゲームを作ってます。
毎年1本作るのは生きる目標
- すんくぼ
- かなり早い頃からゲームづくりへの興味が湧いてきたということですけど、実際にプログラミングを勉強したわけですよね。
- Maruchu
- 最初の頃は、お絵かきも好きだったのでキャラクターデザイナーやってみたいと思ってたんですけどね。とにかくプログラムが基本なのはわかっていたので、小学1年生の頃から学校の図書室でプログラムの本を探してました。
- すんくぼ
- えっ!小1ですか…。しかも今から20年以上前ですよね。
- Maruchu
- はい。図書室にはBASICの本とかしかなかったんですよ。でも当時はOSとか言語とかよく分からなかった。その頃、Windows95が出てパソコンを買ってもらえたんです。ウィンドウズゲーム50とかいうソフト集で遊んだり、誕生日にC言語のプログラミングの本買ってもらったりして、でもC言語のコンパイラは持ってなかった。でもでもVisual Basicは手に入ったので翌年VBの本を買ってもらって…って感じで徐々に覚えていきました。
- すんくぼ
- 恐るべき小学生…
- Maruchu
- とはいえプログラム書けるだけじゃ面白いゲームはできなかったんですよね。パソコンには色々なソフトが入ってたんで、絵を描いたり、ピアノも習っていたので音をいじってDTMをやったりしてました。
- すんくぼ
- Maruchuさん色々とやられていて多才ですよね。
- Maruchu
- 今となっては、サウンド、グラフィック、プログラムと全部自分一人でやれるようになりましたからね。ちゃんとしたゲームを一人で作れるようになったのは高校生の時で、それまでは本についてくるサンプルの素材を変えたようなものしか作れなかったのですが、 工業高校に行って基礎から勉強してみてようやくプログラミングというものが分かって。ちょうどHSPという言語にもこの頃出会って、2000年かな。一番最初のゲームを夏休みに公開してみたんです。
- すんくぼ
- どんなゲームだったんですか?
- Maruchu
- 一番最初は当時ネット上で流行していたうずまき星人のミニゲームでしたね。その後、県の高校生を対象にしたプログラミングのコンテストがあったのでそれにオリジナルのゲームやツールを応募してました。そこで賞をいただいたんですが、いつも2位なんですよ。やっぱりルイージが好きだったからかなと(笑)
当時ネット上で流行っていたうずまき星人
- すんくぼ
- コンテストには結構出されてますよね。大学に入ってからもそういうコンテストはあったんでしょうか?
- Maruchu
- 大学生用のはなかったですね。ただ、ちょうど大学に入った2003年の夏にHSPコンテストが始まったので渡りに船と思って。このコンテストはそれから毎年ずっと開かれているので、そのまま私も毎年1つゲームを作ることになりましたね。今では生きる目標です。
- すんくぼ
- それから毎年1本作り続けるというのが始まったわけですね。
会社、個人、同人。全てやって実現できる場を増やす
- すんくぼ
- 現在はお仕事でもゲームを作っているということですが、どういうゲームを手がけてるんでしょうか。
- Maruchu
- 某ゲーム会社でプランナー兼プログラマーって感じでやっています。長いことコンシューマーでDSとか携帯機の開発などやってましたね。最近はスマホゲームの制作チームにも入ったりしてます。
- すんくぼ
- 社会人になったときに、会社でゲームを作れてるんだからといって満足せずに引き続き個人でも作ってますよね。
- Maruchu
- 結局、会社入っても止まらなかったですね。会社だとプログラムは規約に沿わなきゃいけないんですよ。点滅の時間とか、通信がどうとか。そういうガチガチなやつは会社で。自分で100%これが好きと言えるものは個人でやっていこうと。
- すんくぼ
- そうやって会社と個人を分けてるんですね。
- Maruchu
- 実は同人サークルでゲームを作っていたりもするんです。
- すんくぼ
- えっ、3つ目の活動ですか?
- Maruchu
- そうなんですよ。同人では3~5人のチームで作業しています。1人、少人数、大人数、ゲーム制作のチームとしては全部やっていることになります。〆切が重なると大変なことになりますけどね。同人の方は夏コミと冬コミとあって…。
- すんくぼ
- 3つの活動を同時並行されているとは…。規模も違うゲームづくりに携わっている中で、それぞれの違いはどういうところにあるんでしょうか。
- Maruchu
- こだわるポイントが違いますね。1人でやるときは誰かの作業を待つ時間がないのがいいですし、クオリティをしっかり守っていきたい。同人では、ある程度しっかり売れるものを作りたいですよね。仕事では、プロとして時間を守ってプロジェクトをきっちり回していきたい。仕事振られる側だと無理難題も多くてやっぱりつらいんですけどね。でも、油絵を子供の頃習っていたことがあって、芸術家の人たちって、満足しちゃダメなんですよね。先生もよく言ってたんですよ。「部屋には好きなものだけ置かずに嫌いなものを置きなさい」って。自分にとって会社はある程度ストレスをためる場所で、ストレスをためるからこそ、それを外の活動で発散できています。
- すんくぼ
- Maruchuさんにとっては、どの場も大事ってことですね。
- Maruchu
- そうですね。今も全部続けているというのは、全部良いってことなんですよ。一つしか場がないと、その中だけで考えちゃうじゃないですか。私は自分がやりたいことを実現する場所を選べるようにしています。
気持ちの良いゲームを目指して
- すんくぼ
- Maruchuさんのゲームは、色々なジャンルのものがあるのですが、どのあたりから着想を得ているのでしょうか。
- Maruchu
- 『メイドインワリオ』や『メトロイド』シリーズを作ってる坂本さんもよく言っていることなんですが、自分が作りたいものを作るために引き出しを作っておく、ということですね。ゲーム好きな人が作ったゲームはゲーム好きにしかリーチしない、と思うんですよ。昔の人に聞くと、ファミコン時代、現実のことが画面の中にあるのが面白かった、って言うんですよ。その面白さって大切なのかな、と。ゲームを作る時は、プログラムができなかった時代にためてたアイデアを小出しにしています。作りたいものがつまっていて面白そうなものをチョイスしているイメージ。
- すんくぼ
- なるほど…。プログラムできなかった時代ってもしかして小学生以前のアイデアもですか!?
- Maruchu
- そうですね。小さい頃、ブロックとか図形を使って遊ぶのが好きだった。ピースを並び替えていろいろなシルエットをつくる『タングラム』ってゲームも好きだったんですよ。感覚的で、そしてゲームの条件を揃えやすい。ペントミノというテトリスみたいなブロックを枠にはめるパズルも好きでした。
- すんくぼ
- テトリス風なゲームを多く作られているのは、そういう背景がつながっているのですね。
マウスを使ってブロックを操作する落ち物パズルゲーム「ステラリス / STELLARIS」(2009) 落下中のブロックを連結して8ライン同時に消すことが出来たり、消えたラインの上のブロックをつかんで連鎖を組むことも出来る。
マウスを使ってブロックを置いていき、謎の生物「ノグチくん」をゴールの扉に導くアクションパズルゲーム「イグジットリス / EXITRIS」(2010)
落ちてくるブロックを縦にも横にも自在に回転させられる新しい落ち物パズル「TRIRIS」(2014) GGJ(Global Game Jam)という48時間でゲームを作るイベントで5人で制作された。
- Maruchu
- 自分のゲームは自分が気持ち良いと思うものを作っています。ブロックをハメると気持ち良いじゃないですか。そこで音と映像が同期しているとさらに気持ちいい。なので、音と映像にもこだわってたりします。
- すんくぼ
- 『カラフルマイン』はパズルが解けた瞬間に、フラッシュが光って音が鳴って、ハマった感じが増幅されるんですよね。確かに「解けた―!」って気持ちよく遊べました。マインスイーパーを逆にしたようなゲーム「カラフルマイン」(2013) フィールド上の数字と周りのマスの色が同じ数にすると、ステージクリアになる。
- Maruchu
- 自分が気持ち良いものを作っているわけですけど、ちゃんとみんなと共通の気持ちよさを感じれているのかな、と思っています。
ただ面を広くするのはつまらない
- すんくぼ
- パズルゲームを作るにあたって、何かこだわりがあったりするんでしょうか。
- Maruchu
- パズルゲームって何より言葉がいらないですからね。ゲーセンのゲームとかそうじゃないですか。説明書を読まなくても遊べちゃう。そういう感覚的にできるゲームを作りたいんですね。ルール簡単、操作簡単、問題が100以上、ということを考えてやっています。
- すんくぼ
- 確かにMaruchuさんのパズルゲームは言葉が出てこなくて、だれでも遊べますよね。
- すんくぼ
- 『カラフルマイン』は逆マインスイーパーということでした。マインスイーパー自体は盤が大きくなることで難易度が上がっていくわけですが、『カラフルマイン』では盤を大きくしていないですよね。
- Maruchu
- そんな風にして難しくなるのは当たり前じゃないですか(笑)そうではない方法で難しくしたいんですね。芦ヶ原伸之さんというあるなしクイズやキャストパズルを作ったパズル界の神様みたいな方がいて、その方の言葉に『パズルはただただ難しければ良いってもんじゃない。なんらかのウィットなり、ヒッカケなりがあれば、簡単なほうがいい』というのがあるんですよ。やっぱり、シンプルで美しいパズルを作りたいですね。
- すんくぼ
- 『カラフルマイン』もそういう想いが込められているんですね。
- Maruchu
- 『カラフルマイン』は仕事が忙しい時に作りました。夏休みもらって実家に帰る電車の中でふと考えてみたんですよ。マインスイーパーを逆にしたら面白くなるんじゃないかって。正味2時間ですかね。白黒じゃ限界があったので、実家についてから色をつけてみて…と。実際制作にかかったのは10日くらいですね。
- すんくぼ
- なんと…あっという間ですね。
Unityに泣かされた日
- すんくぼ
- 10年以上ゲームを作っていると挫折とか苦しい時もあったのではないかと思いますが、そういう時はありましたか?
- Maruchu
- 2004年に『Colorful Notes』っていうパズルゲームを作りました。それが結構ウケたんですよね。当時で10万DLとか。こんなのでいいのっていうでした感触でした。何かPCゲーム作って出せばそこらで記事になっちゃう時代でしたね。
2×2 の形で左右にブロックを回転させていき、制限手数内に同じ色のブロックを全てつなげるのが目的のパズル「Colorful Notes」(2004)
- すんくぼ
- ゲームがあふれている今とはだいぶ違いますね。
- Maruchu
- 『Colorful Notes』は英語しか使わなかったんです。そうしたら、なんと海外の人が拾いに来て拡散してくれたんです。アメリカからトルコまで(笑)そのときに調子に乗っちゃって。好き勝手を作ってました。恋愛シミュレーションとか作っちゃったり。そうしたら全然DLされないんですよね。心が折れました。そこからどう立ち直ったかは、『七人のハナコさん』っていうアクションゲームのTIPSにも書いています。七人のハナコさん : TIPS
- すんくぼ
- そして試行錯誤を経て今に至ると…。
- Maruchu
- 一番、心が折れそうになったのが「Unityの登場」なんです。
- すんくぼ
- Unityですか!?
- Maruchu
- 私の場合、1、2歳の頃からゲームをつくるためにはどうしたらいいか考えてきたわけです。プログラミングからコツコツやってきた。ところが2011年頃からUnityとかUnreal Engineが出てきてゲーム作りがあらゆる側面で簡単になりました。フリゲではワイヤーフレームからポリゴン、テクスチャと変わってくるまでに何年もかかった。それが何も努力してない人がUnityをインストールしたら全部出来るようになっちゃった。自分が今まで努力してきたことは何だったんだろうとボロボロ泣いたこともありました。
- すんくぼ
- 産業革命が起きて、機械に取って代わられた職人みたいな…。
- Maruchu
- そうそう、そんな気持ちです。でも、ゲームエンジンって将棋の定跡みたいなものなんですよね。定跡知っててもプロには勝てない。使い方を知ってるだけで「面白い」ゲームが作れるものではないわけです。それで気負うことはないんだと少し気が楽に思えるようになりました。これまでやってきて、プロとしての経験がありますからね。同じような悩みを持っている開発者の人がいたら、そう伝えたい。
- すんくぼ
- とはいえ、Unity便利ですよね。あの敷居の低さだからこそ僕も始めました。
- Maruchu
- 今ではUnity大好きですよ。HSPもそうだけどボタン押せばとりあえず画面に物が出るじゃないですか。あれがいいですよね。子供にもわかりやすいし。
- すんくぼ
- やっぱりシンプルなところが好きなんですね。
会社を辞めないでどこまで行けるか
- すんくぼ
- お話を伺っていると、ひと通りやりたいことをやってきた感はありますが、今後取り組んでいきたいことはありますか
- Maruchu
- そうなんですよ。自分の中では、もう全部やりきってしまって、老後に入った感覚があるんですけども(笑) インディでは、すごい 人たちがいっぱいいるわけです。RuckyGamesさん(ぐんまのやぼう)や天谷さん(洞窟物語)はもともと会社勤めをしながらゲームを作っていたの に、ある時会社を辞めてゲームで食べていく道を選んで、それでやっていけている。すごい。他にもNyamyamさん(Tengami)やNIGOROさん (La-Mulana)など自分達で会社を作ってゲーム開発を行ってる人達も沢山います。
- すんくぼ
- 大体みなさん辞められてますよね。
- Maruchu
- 私もそういうのを迷っていた時期が勿論あって。でもそんな時に「京都インディーズゲームセミナー」というイベントでNIGOROの楢村さんが「好きなゲーム作るなら会社辞めるべき?」という質問に「辞めるとか辞めないとか考えてる間に働け!」って仰ってたんですね。じゃあ私は会社を辞めないでみよう、辞めないでどこまで行けるかやってみよう、と(笑)
- すんくぼ
- 挑戦しようと。
- Maruchu
- インディの人達は好きなものを作るために会社を辞めてたりするわけですが、そういう人達は必ず「会社辞めなかったらどうなってたかな?」と思っているはずです。そこで、そういう人達が「あー、会社辞めなくてもMaruchuさんぐらいのことできたんかなー?」っていうIFの自分を重ねられる存在に なりたい、と。今はそうなれるように頑張ってみようって、考えています。
- すんくぼ
- まだまだ燃えていますね。今後も毎年公開されるであろう作品を楽しみにしたいと思います。本日はお話ありがとうございました!
Maruchu氏の主な作品リストはこちらをご覧ください。