KickStarterで2000万円超を集めたNIGOROが挑む本気のゲーム作り。NIGORO楢村氏インタビュー【前編】
アメリカのクラウドファンディングサイトKickstarter。ここで、今年の2月に2000万円を超える開発資金を集めた日本のインディゲーム開発チームがある。
関西に拠点を置く「NIGORO」。4名から成る非常に小さな会社アスタリズムの開発チームだ。
そのNIGOROの代表作が2Dアクション・アドベンチャー『La-Mulana』。
2004年の公開以来、Wii ware版、PCリメイク版と有料販売を開始。2013年にはSteamでの販売をユーザーの投票で決定するSteamGreenlightを日本初で通過し、現在Steamでは日英露西の4ヶ国語版が販売されている。先日のE3では年内にPSvita版が発売されることも明らかになった。全世界で累計15万本以上が売れているという。
2013年GDCで講演、2014年はアメリカで開催されたゲームの展示会PAXに出展するなど、海外展開にも積極的。国内でもインディゲームの祭典「BitSummit」への協力やインディ開発者のコミュニティ「Indie Stream」の設立で中心的な役割を果たすなど、日本のインディゲームデベロッパーを代表し、盛り上げてきた存在だ。
驚くべきことに彼らは誰一人として元々ゲーム業界で働いていたわけではない。
前編では、ゲームづくりのプロとしての道を選んだ彼らがどのような想いで活動しているのか、そしてKickstarterプロジェクトの裏側について、ディレクターの楢村氏に話を伺った。
4人が食えるようにならないと成功とは言わない
ーNIGOROはKickStarterで無事に目標金額を集め、成功させています。
- 楢村
- 「成功しましたね」って言われても、なかなかそうは思えないんですよね。僕らは会社をたてて4人でやってるわけです。会社がスタートした時点でメンバーが家庭を持っていたりしていたので、ゲームづくりを仕事にすることで生計を立てなければいけませんでした。だから、4人が食えるようにならないと成功とは言えないんです。
―なるほど。開発する資金が調達できても、それはスタート地点に過ぎないわけですね。
- 楢村
- 作りたいゲームを作って楽しいのがインディだけど、結果金にならないんじゃGoを出せないんです。自分で誰も頼らずにやるには、前の作品の売上で次の作品を作る費用がまかなえるところまでいかないといけない。
ー非常に厳しい現実的な話から始まりましたが、いつ頃からインディでやっていくことを決意されたのでしょうか。
- 楢村
- 一番最初の『La-Mulana』を作り終わって、その後NIGOROとして立ち上げた2007年あたりからですかね。コンシューマでもダウンロード販売が始まるという時期で、『La-Mulana』も沢山の方にプレイしてもらえて、「もしかしたら仕事になるかもしれないぜ」と。でも、「人生を左右することだからよく考えよう」ということで、しばらくその考え自体を寝かせていました。まだ、インディゲームなんていう言葉もなかった頃の話ですから。
ー将来、ダウンロード販売が普及し、自分で作って自分で売るというスタイルができるようになる、という読みがあったわけですね。
- 楢村
- ありましたね。それに、「自分の能力活かすならこっちだろ」と。その前の仕事ではデザイナーをしていたんですが、仕事に疲れきってて、趣味の時間でゲーム作ってました。でも、ゲーム作ってる時のほうが明らかにノリノリで作れてたんですよ。
ーそして有料で売るということでコンシューマーに乗り込んだわけですか。
- 楢村
- ファンか所有者が多いところに出すのが正解なんじゃないかくらいにしか思ってませんでしたけどね。それでコンシューマー。ところが、うちにはゲームを作って売るノウハウのある人がいなかったので、いざ、販売しようという時にどうやっていいか分からず困ったんですよ。Xbox liveにしてもWii wareも、やりたいと思ってもどうやって参入したらいいか分からない。最初はお客様問い合わせフォームから問い合わせたりしてね(笑)反応がないので、電話もかけたりとか。結局、参入条件を聴いても個人レベルじゃ全然入る余地がなかったんです。そんな壁を感じていた時に北米からWii ware版の声がかかったので飛びついたわけです。
ーその頃はまだ各コンシューマー機のダウンロードストアも黎明期ですよね。
- 楢村
- 任天堂がやるならってことでWii wareに飛びついたんですけど、あまり注目はされなかった。あの頃はとにかく「時代の流れを読まなきゃ」みたいなことを思ってて、国内外問わず必死に情報を漁ってましたね。
ー時代にゲームづくりのスタイルを合わせようとしていたわけですね。今は違うんですか。
- 楢村
- 今は全然気にしてないです。作りたいもの作ればいいやんけ、って。
ーまたアマチュアでやっていた頃の気持ちに戻ってきたと。
- 楢村
- コンシューマーを経験して、個人レベルでコンシューマーを狙ってヒットさせるのは大変だと、思ったんですよね。今はSONYやMicrosoftなどのハードウェアメーカーがインディに注目しているから、自分たちはPC版で作りたいだけ作って、あとは声かけてくれたらやるっていうスタンスです。
ーなるほど。
- 楢村
- 海外から流れてくる成功事例で、何千本、何万本も売って莫大な売上になった、とかあるじゃないですか。2013年のGDCに行って分かったのは、大成功して大金を得たチームはトップクラスのほんの一握り。日本に伝わってくるのはそういう極端な成功事例が多いんですよ。うちみたいに、生計立てるためにヒーヒー言いながら作ってる連中が山のようにいるのがよく分かりました。
ーインディゲームの世界にも、いわゆるAAAタイトルみたいなものがでてきてますもんね。
- 楢村
- 僕らとしては1本注目浴びて終わるんではなくて、老後までゲーム制作で食っていかないといけない。「60歳になったときにもちゃんと講演で食えるくらい有名になっておかないと」とか、超ロングスパンで考えてますよ。長く長くやってくことにしています。Steamで販売できれば10万本は売れると言われてて、よく聴いてみたら、年間数千本ペースで何年か経ってやっと10万本達成していたりするんですよね。在庫切れがないのがダウンロード販売の売りなので、大穴狙って出して売って大儲けするより、一作出したら数年は売っていきたいですね。
ー一発狙いではないということですね。
ギリギリだったKickstarter
ー非常に印象的なのはKickStarterでの開発資金集めですが、クラウドファンディングの活用を考えたのはどういうきっかけだったんでしょうか。
ーそれで準備を始めたんですね。
- 楢村
- Playismさんに色々リサーチしてもらったり、先にやっていた『MightyNo9』の稲船さんや、『Project Phoenix』の由良さんにもKickStarterのことを聴きにいったりもしました。なんだかんだで半年くらいかかって準備しましたね。作品は一切できてないのにKickStarterだけのためにデモを作っちゃったり。
ロックマンの生みの親、稲船敬二氏が独立し新作『Mighty No9』の開発資金を2013年9月にKickstarterで募集、384万ドルを集めた。
音楽家で『ソウルキャリバーⅤ』やアニメ映画『涼宮ハルヒの消失』の芸術監督を務めた由良浩明氏を中心とする『ProjectPhoenix』は新作のRPGの開発資金をKickstarterで募集、110万ドルを調達した。(画像は戦闘のコンセプトイメージ)
稲船さんからは応援メッセージも
ーそして2014年2月からいよいよ寄付の募集がスタートし、目標金額を達成しました。
- 楢村
- いざ集めてみるとギリギリでした。始めるまではもっといくとか2倍、億いくよねーとか、言われてたこともあったんですよ。でもそんな風にうまくいくわけないっていうのは分かってましたね。Steamやwii ware出せばうまくいくわけないっていうのと同じ。そういう意味では既に経験済みだったので(笑)
ーKickStarterでものすごいお金を集めたという話も、達成できたからこそ日本に聞こえてきてるわけですしね。
チームでゲームをつくるということ
ーKickstarterで資金を募集したのは、『La-Mulana』の続編ですが、NIGOROは『La-Mulana』を作る前から色々作られていると聴きました。そもそもゲーム制作のきっかけはなんだったんでしょうか?
- 楢村
- 社会人になりたての頃から、趣味でレトロゲームのサイト運営をしていました。そこで趣味が同じ人が集まってきて、プログラムが出来る人に、「実はゲームが作りたくて」と話したところから当時はアマチュアでスタート。小さい時は作りたくても作り方を知らなかったですからね。完全に趣味です。
ーそれまで本業は何をされてたんですか?
- 楢村
- 僕はずっとデザイナーです。フリーでもやったり、テレビドラマのHPとかDVDメニューの制作とかをやってましたね。大学時代は映像系にハマってたんで、ウェブもわかり映像もわかりということで。今もPVを作ったりするのはできます。
ーKickstarterの動画もご自分で?
- 楢村
- あれも全部自作です。ちなみに海外の開発者は自分が表に出るんですよね。顔出しで、名前も出したり。出ないと逆にやる気ないのかってなりますしね。それでKickStarterのビデオも自分が出てみたんですよ。Kickstarterは、ゲームにお金だすというのもありますけど、作っている人にお金出すという側面もあるんですよね。海外のイベントで話してると「坂を転がってるところがナイスだったよ」と言われたりするんですよ。
楢村さんが体を張って制作したKickStarter用の動画。坂道を盛大に転がるシーンは4:22過ぎから。
ーでは全くゲーム作りの素人だったところから始まって、ゲームづくりが面白くなってきたということですね。
- 楢村
- そうですね、一作目が意外と反響があったので、いけるんじゃないかと。1作目はSTGだったので、次はアクションを作りたくなって『La-Mulana』の制作を始めました。その頃になると会社勤めも忙しくて、制作期間は5年と言ってますが、その間は誰かの連絡がつかなくて2年位経っちゃったりとかですよ。
ーNIGOROの皆さんは会社に集まるわけではなく、皆さん遠隔地にお住まいで連絡を取りながら制作をされていますよね。大変そうです。
- 楢村
- 作っている時に上手く行かなくて全て作り直したこともありました。グループ制作でそれをやると結構とんでもないことになるんですよね。今は、企画書の段階ですごい時間かけてGoを出すまで丁寧にやっています。僕が、これから3日間ホテルに缶詰になりますと宣言して、社会から断絶して企画書を書きます。
ーどんな企画書なんですか。
- 楢村
- 元々は自分で作りたいタイプなので、共同作業で人にお願いして違うものが返って来ると嫌なタイプなんですよね。チームで顔を合わせることはほとんどなくて、離れて開発してるので、プログラマーとやりとりするときは、口だけだと伝わりきりません。徹底的に文章を書いて、それでも通じない時はあるのでFlashとかGifアニメをつけたり。元々プログラムは多少触ってたので、ここの数字がはっきり出てないと伝わらないとかもわかっています。ここまで言わないと文系の頭のなかは理系に伝わらないだろうって(笑)最終的には、大型モニター60枚分くらい。結局出てきたものが違って作りなおしてもらうと手間が増えますし。
ーすごいボリュームですね…。
後編では、NIGOROのゲームデザイン、そして日本のインディゲームの現状についてどう考えているのか、さらに突っ込んだ話をお送りする。