精神科医となりクライアントの記憶へと降りる旅路。アマチュアから商業へのステップを早く実現しながら歴史の影へ消えたツクールの名作『パレット』
時間が経てから振り返らないとわからないことは数多いでしょう。これは歴史の影に消えた名作についての話です。
現在、個人・少人数制作によるインディーゲームの活況があります。かつて、アマチュアが作ったゲームとしてフリーウェアなどの形態で発表されていたものが商業化していく、というケースも少なくはありません。
90年代前後から、専用のゲーム制作エンジンやツールが広まり、これを土台として個人・少人数制作が活発化していきました。日本にとってなじみ深いゲーム製作ツールと言えば「RPGツクール」シリーズでしょう。RPGのゲームメカニクスを存分に活かしたゲームから、めんどくさくなって作りきれなかったものまで様々なゲームが作られ、オンライン上にもアップロードされていきました。
現在のインディーシーンでも、ツクールのフォーマットによる作品が多数リリースされています。中でも海外にてリリースされた『To the moon』はそのストーリーテリングやポストクラシカルなサウンドトラックが高い評価を得たゲームです。
こちらで言及しましたが、『To the moon』はまったく戦闘もなく、アイテム収集も経験値の蓄積のようなRPGならではのゲームメカニクスを生かすよりも、物語を体感することに注力した作品です。そもそも、先に述べた90年代前後からのツクール制作ゲームの中でも特筆されるような作品というのは、RPGの戦闘による経験値の蓄積であるとかアイテムの収集よりもアドベンチャーゲームのような切り口で、物語の流れを体感させるような作品が少なくありませんでした。だがしかし物語を追うだけのそれは面白いのか?ゲームでやる意味はあるのか?というと、これが面白く、しかもそれはビデオゲームとプレイヤーの関係を裏打ちしているためだと言えます。
ビデオゲームとプレイヤーの関係。それは極限まで削りきれば情報の無いプレイヤー側がビデオゲーム側の応答に合わせ、何かを探り、情報を集め、問題を解決することがその全てと言えます。ところがこの構図を別の角度から見たならば?そう、記憶を失った・何か精神的なトラウマを負った原因を探るサイコロジカルなセラピーの如き、カウンセラーと患者の構図となるのです。
『To the moon』は、プレイヤーがまるでカウンセラーのようにある死にゆく老人の記憶の中に入り、「どうして月に行きたいという欲動を得るようになったのか?」ということを、過去の記憶へのきっかけを拾い、探していくゲームです。まるで、半ばフロイトの精神分析のようなゲームメカニクスを取っています。まさに精神分析の構図をそのままビデオゲームとプレイヤーの構図に当てはめた点が優れていた作品でした。
インディーゲームで評判となった『To the moon』を遊びながら、僕は過去にも似たような作品を遊んだ記憶がある、と感じていました。それはとても早い段階でツクールから商業へとステップするという展開をし、深層心理を探るゲームデザインを行いながらも歴史の影へと消えた作品『パレット』です。
精神科医となり、少女の記憶を掘り下げる対話
少女の精神の中で、真相を探っていく。右側に表示される体力の数だけ深層へと潜ることが出来る
『パレット』はRPGツクール95にて製作され、第四回アスキーエンターテイメント ソフトウェアコンテストにてグランプリを受賞した作品です。
精神科医シアノス・B・シアンがいつものように地元新聞のコラムを書き上げ、事務所を出ようとした矢先に謎の女からの依頼が舞い込むところから物語が始まります。シアンはまた後日に相談してほしいというのですが、謎の女はなんとそこで銃を放ち、性急にこの依頼を解決してほしいと脅します。
依頼内容は、目が見え無い状態となり記憶を失っているという少女の記憶を取り戻すことでした。突発的なカウンセリングは、なんと電話で少女に話しかける形で始まります。少女が覚えているのは自分の名前を示す「B.D」というイニシャルと、赤い色という断片的なことだけです。
ゲームプレイはシアンの事務所のシーンと、電話をかけることで少女B.Dの記憶を探る精神の内面のシーンのふたつに分かれています。B.Dのシーンで、記憶を封じ込めているガラスの壁を壊していくことによって、記憶の回復を目指していきます。
ですが、画面の右側に表示されるB.Dの体力の分しか記憶を封じ込めるガラスは破ることはできません。無理に記憶をこじ開けようとするとB.Dは頭痛を訴え、シアンの事務所のシーンへと戻り、また最初から記憶を探りなおします。ガラスを破った先にある、落ちているナイフや人物など、記憶に関わるものを少しずつ思い出すにつれB.Dの体力は上昇していき、より深層へと潜ることができます。
ゲーム用に当然デフォルメされた形とはいえ、プレイヤーが精神科医の立場にて記憶喪失から回復させるという見立てを、ツクール95というエンジンのレベルでかなりの面を生かしています。精神の奥へ行こうとするガラスの割れる音の不穏さや不快感が表現され、そこには真相を知ることの畏怖が付きまといます。
B.Dの記憶を探るうちにだんだんと事件の全貌や世界の全貌が明らかになっていく中、究極的にはなんとプレイヤーとゲームの関係のメタファーたるカウンセラーと患者関係さえも変質を遂げることとなります。
14年前と比べて今のインディーシーンの中で『パレット』を再評価する意味
精神の奥へ潜り、記憶を探るという簡潔で完成度が高いデザインが評価され、その後2001年にプレイステーション用ソフトとして『Forget me not パレット』のタイトルにて商業展開され、個人製作のビデオゲームがオーバーグラウンドにまで出るところにまで達しました。
しかし現在までのところ、『パレット』の評価というのはいささか限定的になっています。それは時代背景的に無理も無かったのかも知れません。2001年はPS2の能力を生かすかのようにファイナルファンタジー10がリリースされ、グラフィックスの進歩を見せつけるようにFFの映画も出揃っている時代です。当時、次世代機に移行しつつある時代、作家性の強いタイトルという面でも上田文人の「ICO」やグラスホッパーマニファクチュアの「花と太陽と雨と」などなどもありました。
また現在のようにダウンロード販売という経路も主流ではなく、時代的にも2000~2001年という3Dグラフィックスを中心とした映画的な表現や新たなゲームメカニクスの発見というビデオゲームの垂直進化が主な時代。過去のゲームアーカイブが揃い、2Dゲームのリバイバルが行われる段階に行き着く前でした。そうした次世代機で作品の広がりがある時代、『パレット』の商業バージョン『Forget me not パレット』は旧世代機のPSで、フルプライスで発売されたのです。
『パレット』は今だからこそ光を当てることに意味があると思います。というのも、現代のインディーゲームで評判になった作品の多くが、たとえば先述の『To the moon』だけではなく『braid』か『Hot line miami』、『Anodyne』などなどビデオゲームとプレイヤーの関係がそのまま、記憶や内面など精神の奥底へと潜る対話となる作品が少なくありません。「パレット」もプレイヤーが精神科医となり、記憶を失った少女のカウンセリングを行う対話を行う作品です。
精神分析や記憶というテーマは90年代の後期に流行った陰鬱なテーマでした。しかしアスキーエンターテイメントでグランプリを受賞した時点で2000年を過ぎており、2001年からはそうした陰鬱さも少々古びていた面もあったかもしれません。しかし今、個人から少数精鋭で作り、さらにビデオゲームとプレイヤー関係というのも痛烈に意識する結果、作家のプライベートな側面さえ掘り下げ精神の奥底へと潜る作品がコンスタントに現れています。(「OMORI」なんてのも期待されていますよね)
『パレット』は個人や少数のチームによる商業でも広く展開できる経路が多くなり、AAAタイトルでは通りにくいだろう内省的な作品がシーンを賑わせている今こそ振り返ってみることに一抹の意味があると考えています。
[基本情報]
タイトル パレット
作者 西田 好孝
クリア時間 およそ3、4時間
対応OS Windows XP/Vista が最適 Windows7 /8に関しては動作不安あり
詳しくはこちらもご参照ください
http://tkool.jp/support/os_list
価格 フリーウェア
ダウンロードはこちらから
http://www.enterbrain.co.jp/gamecon/no4/01.html